院長プロフィール

【はるかぜ整体院 院長】和田 吉弘(わだ よしひろ)

1971年生まれのやぎ座。血液型はO型です。

前職業はまったく畑違いの職業で、自動車の整備士でした。

機械を「直す」から体を「治す」に変わっただけだと思います。機械は壊れれば動きません、そして修理や部品を交換すれば直ります。

しかし、人間の場合は体が発信している信号(痛み、違和感、場合によっては発熱等)を放置もしくは無視し続けると、最終的に動けなくなります。

私の仕事は、患者様の発信している信号をキャッチし手助けすることです。

施術はもちろんのこと、手助けにあたるもの(自宅に帰ってからの生活の方法、やってはいけないことの説明など)言葉による説明も行います。わからないことがあればお気軽にご相談ください。

【資格・略歴】

柔道整復師免許

 

現在の仕事とはまったく関係のない資格も持っています

2級ガソリン/ディーゼル整備士/危険物取り扱い主任者(乙種4類)
フォークリフト免許/普通自動車免許/自動二輪免許(普通二輪)

【家族構成】

父、母、嫁、子供3人(娘、息子、娘)と私で7人のいまどき珍しい大家族?です。
数年前まで南茨木に住んでおりましたが、長女が幼稚園に行くのをきっかけに実家に戻りました。現在実家の奈良県より、単車と電車を乗り継ぎ片道1時間15分の道のりを通勤しております。

【趣味】

昔はツーリングによく出かけていましたが、最近は子供も小さいのであまり出かけません。
子供たちをつれて、遠くへ出かけるのが好きです。

治療家になるまでの道のり

自転車が好きで、病弱だった少年時代

幼稚園~小学生の頃は体が弱く良く風邪をひく子供でした。当時公立小学校では制服で、真冬でも半ズボンでしたので、風邪をひいては半ズボンの下に「白いタイツ」を履かされて登校していました。身体も小さく走るのも遅かったので、自分で走るより速い自転車が好きで、公園でコースを作って競争したり友達とお弁当を持って遠くの山や公園まで出かけたりしていました。

中学生の頃、ゴールデンウイークに車で遊び連れてに行ってもらった際に、酷い渋滞に巻き込まれぐったりしていると車の横をバイクがスイスイすり抜けて行き、「自転車より楽そうだし、速そう・・」とバイクに関心を持ちました。停車したパーキングエリアでバイクをじっくりと見ていました。

資格を取得し、整備士の道へ!

車よりもバイクに興味があった私は次第にメカニックに興味を持ち自動車整備の資格を取る為、阪和鳳自動車整備専門学校へ入学。学生時代は、友人たちと原付に乗って竜神温泉まで温泉に行ったり、ミニバイクのレースコースに行って、皆でレースに参加していました。卒業後は建設機械の整備士として就職。高所に上がる機械を整備していました。

第1の転機が訪れます。

整備会社に在職中、ミニバイクのコースで練習中転倒し、左膝の靭帯を損傷及び一部断裂により検査入院をしました。一カ月間病院のベットの上で過ごし自問自答を繰り返して「これ以上、会社や親に迷惑をかけれない」とミニバイクレースを辞め、大きなバイクでレースをすることも諦めました。また、自分で整備工場を持ちたいとの夢も断念しました。

夢を諦めきれず、脱サラし専門学校へ!

整備工場は断念したものの、やはり自分で何かを残す店舗を持ちたいという夢が諦めきれず、仕事の合間に資格の本を読み、自分に合った職業を探す日々が続きました。私の母親が股関節を両方とも手術したことや、父親の勧め、自分自身の怪我の経験から柔道整復師に興味を持ち、柔道整復師の専門学校に入学できるように、会社を辞めて一から猛勉強しました。

専門学校に通いながら、整骨院で働き始めます

行岡整復専門学校に入学、と同時に大東市にあるおづの整骨院で

働き始めました。おづの整骨院では、治療の方法や、患者様との対話、検査方法、整形外科との連携の仕方など多くを学びました。

人生で一番怒られましたが、今の治療家としての基礎が出来上がった時期だと思います。

はるかぜ整体院を開院へ!

おづの整骨院で6年働いたのち、今の整体院を開院しました。患者様にとって親切でわかりやすい施術を心がけ、一人でも多くの方に良くなってもらえるよう毎日施術を続けています。